イギリスの劇作家アレクシ・ケイ・キャンベルさんは『プライド』日本初演の初日に向け、12月9日から一週間、東京に滞在されました。チームの一員となって稽古にも参加され、江東区新大橋のリハーサルルームで、街場の焼き鳥屋で、中華料理屋で、キャスト/スタッフと積極的に交流していただきました。劇作家との共同作業というのは、20年近くになるtptの歴史のなかでも初めてのことです。アレクシさんは、もともと俳優として活動なさっていたせいか、言葉の壁を難なく超え、ごく自然に稽古場の空気に溶け込み、彼のあたたかな存在はチーム全員にとってたいへん大きな勇気と自信とをもたらしてくれました。今回の公演にあたってのアレクシさんからのメッセージをここに掲載します。
The Prideについて、いくつか思うこと
『プライド』The Prideを 書くにあたり、初期衝動のどこかに相当の怒りがあったのだと思います。それがある一つのことがらに対する怒りであったのだとすれば、それは、社会があらゆる種類のステレオタイプを執拗なまでに要求するという点です。わたしたちは怠惰でいられるよう、安心していられるよう、様々な「ステレオタイプ」をつくります。「あいまい」ほど、人に脅威を与えるものはないからです。すべての人間の内なるファシストが好む色は二つあります──白と黒です。中間色はありません。
ですが現実の人間は、当然ながら、その二色のあわいの豊かで多様な色相に存在します。「汝自身を知れ」と、デルポイの神殿には記されています。自分を知ろうとすることだけが、人生になんらかの意味を与えるのです。ほんとうの愛を求めることも同様です。が、ひょっとすると両者は表裏一体なのかもしれません。
そこでわたしは、二つの異なる時代を生きる何人かの登場人物を生み出そうと考えました。各時代において彼らは、自分をすこしでもよく知ろう、そして互いにつながり合おうと闘います。1950年代において、その障壁となるのは、理解できないものを偏執的に 恐怖する社会、そして社会規範からの逸脱を怖れる行動規範です。そしてのちの時代、現代における障壁は、市場原理が支配する社会、その一員になるために自身のコアな欲求に誠実でいることをやめなければならない社会、あらゆるものが交換可能だ、あらゆることが商取引だと唱えられている社会です。もしかすると後者は前者に対するレスポンスなのかもしれません──暗黙のものは露骨なものとなり、隠れていたものはあからさまなものとなり、秘められていたものはけたたましいものとなるのです。どちらの時代でも、大切なものは失われます。そしてどちらの時代でも、正直に向き合うことを求める闘いこそ、困難とはいえ、唯一取り組む価値のある闘いなのです。
わたしにとってハッピーエンディングとは、登場人物が自分について、自分を追い立てる様々な力について、物語が始まる時点では知らなかったことがらを知るということです。それは正しい方向への第一歩です。自覚するということです。
わたしは長年、俳優として活動したのち、劇作に転向しました。その際、どのような立場であれ、自分は常に物語芸術に関わっていたかったのだと気づきました。励みになったのは、舞台俳優としての経験が作家としてのわたしの声を豊かなものにしていたということです。わたしは演技を通じ、劇作のすべてを学んだのです──構造について、人物造形について、台詞のやり取りについて。そしていよいよ劇作に取りかかろうと決心したわたしは、一つの役を具現化するのではなく、多くの役の立場に身を置き、彼らの多くの声を見出そうと試みました。
わたしの作品が日本で上演されると知り、たいへんうれしく思っています。わたしは以前より日本国の文化に惹かれてきましたし、その芸術、文学、映画を通じて、彼方よりあこがれを抱いてきました。イギリス同様、島国である日本は、豊かで複雑な歴史をもち、この50年ほどのあいだに、とてつもなく大きな社会の変化を経験しました。今回日本を訪れ、『プライド』という作品が日本で歩む人生に関わることができ、たいへん興奮しています。キャスト、クリエイティブチームのみなさま、公演のご成功をお祈りいたします。東京の観客のみなさま、日本初お目見得となるわたしの作品をどうぞごらんください。お楽しみいただければさいわいです。
心をこめて
アレクシ・ケイ・キャンベル
「さよならだけが人生だ」
なんて三十路を過ぎた今しみじみ感じ入るものがありますが、
「さよならだけの人生なんてつまんねぇぞ」
とある映画の中で叫んだ峯田和伸もまた好きだったりします。
さて、ご挨拶が遅れましたがtpt80「袴垂れはどこだ」無事公演終了いたしました。
沢山のお客様にお出でいただき誠にありがとうございます。
この場を借りて厚く御礼申し上げます。
ここtptでは様々なバックグラウンドを持った多くの俳優達が公演毎に集まり、
公演後に各々が得たオリジナルの経験を持ってまた散らばって行きます。
そして、我が「袴垂れ」陣営もついに解散と相成りました。
千葉哲也・山本亨・真那胡敬二という大俳優達を眼前にし、
その姿勢、熱量、経験から多くのことを学び、
俳優としてのスキルを磨く機会を頂いたのは勿論貴重です。
でも、それ以上に、
見知らぬ人同士が、始めはおっかなびっくりでも、
共に費やした時間という魔法によって、
同じ方向を向いて歩めたこと自体が実は大切だったりするんじゃないかと思っています。
一月半もの間、「袴垂れはどこだ」という戯曲を通じて多くの出会いがあったことは、
かけがえの無い財産として僕らの中にずっと残っていくのです。
お客さんにとって一期一会の芸術である演劇は、
創っている僕らにとってもまた同様で、
パッとやってきてパッと過ぎ去っていきます。
素敵な出会いの機会を作って下さったtptさんにも心から感謝。
「袴垂はどこだ」の期間中、ちょこちょことblogを更新させて頂きましたが、
戯曲の旅を終えた今、私の役目も終わりです。
読んで頂いた方々にはこれまた感謝、感謝。
ではでは、これにて失礼致します。
こでら

本日は、稽古場津々浦々を覗いていきましょう。
まず、なによりとにかく広いんです。最大四十名近く同時に居てもこれだけ広いと問題ないのです。

ケータリング場です。
いつもコーヒーやらお湯やらお菓子やらいっぱい。






この劇は2つの時代を往復していくラブストーリーです。両時代にシルヴィア、フィリップ、オリヴァーという3人の人物が登場しますが、同一人物ではありませ ん。これをそれぞれ馬渕英俚可さん、須賀貴匡さん、山口馬木也さんが、その他3人の男の役を谷田歩さんが演じます。ウィットとユーモアに富んだ台詞、感情の機微やうねりが見事に表現される会話運びによって、1人の俳優さんのいろいろな顔が見られ、さすが俳優が書いた戯曲だなあと、まだ本読みの段階ですが、聴いていてうなってしまいます。
こちらによれば、作者のアレクシ・ケイ・キャンベルさんはアテネの生まれ。お父さまがギリシャ人、お母さまがイギリス人で、ご自身はアメリカのボストン大学で英米文学を学び、その後イギリスの演劇学校で演技を学ばれたそうです。長年、俳優として活動したのち、2008年、ロンドンで先鋭的な新作を長年発表し続ける名門劇場、ロイヤル・コート・シアターで『プライド』を発表し、イギリス演劇批評家協会賞の新人劇作家賞を受賞、作品もローレンス・オリヴィエ賞(Outstanding Achievement in an affiliate theatre)を受賞しました。
『プライド』は2010年にニューヨーク/オフ・ブロードウェイでも上演され、その後、アメリカ各都市やドイツ、スウェーデン、ギリシャなど、世界各地で上演が相次いでいます。
『プライド』についての作者のコメントを紹介しておきます。
──『プライド』はあなたの処女作で、2008年にロイヤル・コートで上演された後、様々な賞を受賞しました。まず、何にインスパイアされてこの劇をお書きになったのか、教えていただけますか?
スタート地点となったのは、"性の革命"を挟んだ二つのまったく異なる時代において、ゲイであるということは何を意味するのかを探求し、比較、対比してみたかったということです。まず考えたのは、1960年代、1970年代に社会や文化が劇的に変化したこと、特にその変化がゲイ・アイデンティティというものにいかに影響したかということです。が、考え始めて気づきました──いろんな意味で、今日存在しているものというのは、それ以前に消滅したものに対する非常に極端なレスポンスなのです:内密から公然へ、暗黙から露骨へ、すべて言外で語られていた状態からすべて過剰に語られる状態へ、抑圧されていた状態から すべてを当然とする状態へ。そこで私は、二つの異なる時代を比較するだけでなく、そのつながりを探り、遺産という感覚を探求しようとしたのです──一つの世代が前の世代から自己という感覚をいかに受け継ぎ、それを捨てて、自分たちだけの感覚を見つけようとするのかということです。最終的に私は心のどこかで、大きな変化をもたらしてくれた人々へのオマージュとして、彼らが何と闘ったのかを記憶しておきたかったのでしょう。彼らは偽善と、憎悪と、抑圧と闘ったのです。それが重要な部分でした。
── この作品について、読んだことのない人、観たことのない人に、あなたならどう説明しますか?
『プライド』は、人物たちが自分たちを追い立てる様々な力について、そこに何があるのかを発見しようとする劇です。そしてシンプルに言えば、ラブストーリーです。
(引用元)
アレクシさんは間もなく来日され、『プライド』日本初演の初日をご覧になる予定です。
明日からいよいよ立ち稽古に入ります。
錦糸町を歩いていると「550円」の中華系定食の看板が目立ちます。
この値段の基準は何なのか不明ですが統一事項なんですかね。
僕も何件かまわっていますが美味い店もあるので、
観劇のついでにお気に入りの「550円」定食を探すのもアリかと。
早いもので、既に中盤。
明日(…既に今日)はマチネ・ソワレ。
実はこれ、体力的には結構ハード。
終演後に真那胡さんが、
「俺、痩せたのかなぁ。」
と手鏡を覗き込みながら呟いておられました。
お客様に言われたのだそうです。
とにかく喋りっぱなしの役柄なので大変そうです。
全体としてもハードなシーンが幾つかありまして、女優陣の群舞もその一つ。
振付担当の伯鞘さんは稽古中ずっと、
「あたし、なんでこんなめんどくさい振付にしたんやろ」
なんて嘆いていたにも関わらず、
女優陣が振付を渡された次の日には全員踊れたのは驚きました。
皆様、流石でございます。
序盤の傘を使った力強い群舞と、
中盤でのこれまた真那胡さんを中心にしたセクシー(?)な群舞は見ものです。
また今回は時代劇ということもあり立ち回りが出てきます。
そこでは亨さん・千葉さんがこだわりを見せます。
僕も含め、皆細かく丁寧に指導を受けており、貴重な体験です。
特にラストの村人達と男の大立ち回りは必見。
迫る役人衆の降り注ぐ弓矢の中、
突きつけられる男の刃に怯え逃げ惑う弱き村人達。
ただ見つめることしか出来ない小菊。苦渋の選択を下すじいさま。
ほの暗くもエッジの効いた照明。
叙事とも叙情とも言い難い音響。
舞台上の効果全てが巧妙に且つ情熱的に絡み合い、艶っぽく輝いています。
いい作品に仕上がりました。
観に来てください。
こでら
いやーついに初日を迎えます「袴垂はどこだ」。
ゲネプロも終え、順調に本日の幕開きに向かって進んでおります。
あっつい感じの、男臭い感じ。
アホだったり、仲良しだったり、うるさかったり、情けなかったり。
「あぁ、男ってこうよね」
…ストーリーと関係するかどうかは置いておきます。
でもまぁ、若いイケメンからダンディーなおじ様までいらっしゃる我がカンパニーの芝居を観ていると、
そんな芝居にもなってる気がします。
初演当時は赤軍関係と比較された今作。
2011年度のお客様はどう捉えるのでしょうか。
戯曲を立ち上げるために試行錯誤を続けたこの一ヶ月。
観に来て頂いたお客様の心に何かが残ればそれに勝る幸せはありません。
毎回思うことなのですがその「何か」を規定は出来ません。
ただ、単に「何か」なのです。
人の心の複雑さ。
だからこその面白さ。
ドラマは尽きません。
では、今日すみだパークにてお待ちしております。
こでら
「認知」
あーメロドラマで出てきそうな、あの「認知」ではないです。
「感じ方」とか「受け取り方」
に近いですかね。
認知うんちゃら学っていっぱいあるんですね。楽しそう。
なんでこんな話から始めるかと言うと、
「メタファー」
という単語ご存知でしょうか?
お芝居を観るようになるとそういった単語を聞く機会も増えるでしょうし、
創り手である僕らは其処と格闘するわけです。
日本語に直訳すると「隠喩」「暗喩」。
比喩なんだけど、ちょっと分かりづらくぼかした感じがする。
逆が「直喩」。はっきりと比喩だと分かるもの。
ここ位までは一般的かと思いますが…どうやら最近ではもっと僕らの物事の捉え方の深い所を指すようでして。
その「認知」って奴と大分深く関わっているのだそうです。
演劇の創作過程における視点のひとつとして、
「観る側にどう映るか」
というのがあります。
立ち上げた成果物が、
観客にどう働きかけるかってことを常に意識しております。
どういう風に「認知」してもらうか。
どうやったらそれが可能なのか。
そんなことばっかり毎日考えてる気がします。
…小難しい話になってしまいました。
がこれもまた、演劇創作過程における一部ということで。
下記は、僕の今年一番のハマリもの、twitterより引っ張ってきました。
「いつだって、見るべきものがなくなるなどということはけっしてないのだから、
君は足を使って出かけてゆくのだ。どこかにある現代の河原へ」 by 状況劇場
僕等のとこにも足を使って出かけてきて下さい。
こでら
いよいよ大詰めを迎えております我らがカンパニー。
出来上がったセット使っての舞台稽古。
照明、音響も本番仕様へと向けて最終整理。
抽象表現にも、リアルな空間にも耐える舞台美術。
キャラクター設定に合わせた遊び心溢れる衣装。
より鮮明に浮かび上がってきた世界観。
そしてそれを堅実に支えてくれる演出部スタッフ。
俳優達は稽古場で一ヶ月かけて研ぎ澄ま続けた自身のアンテナを頼りに、
舞台中に潜む数え切れない程の宝物を探し続けています。
それは創作の源である「想像力への刺激」。
いたるところで飛び跳ね、勃興するエネルギー。
巻き起こるカオスをしっかりと纏め上げていく千葉さん。
舞台上で起こる全ての事を利用してより力強い表現へと昇華させる。
そのプロセスだけでも非常に興味深いものです。
村人達が自由に活き活きと動き回る様を見て稽古の成果を実感しております。
メンバー一丸となって1964年に描かれた「袴垂はどこだ」を、
2011年のすみだパークに立ち上げようとしています。
初演をご覧になっている方も、福田善之ファンの方も、全く知見がない方も、
是非ともご覧になって頂きたい。
11月17日(木)より開演です。
こでら
